鳥  居
 戦国武将鳥居強右衛門(とりい、すねえもん)にちなんだ駅です。近くには史跡鳥居強右衛門磔刑の碑があります。OVAでまりいと鰯水が見下ろしていた駅ですが、平成8年秋頃に駅舎が解体されて、代わりにホーム上に大きめの待合いが作られました。
 小さくてわかりにくいですが、道の先の方に踏切と駅が見えます。道幅が広がっていますがOVAとほぼ同じ画面です。ロケハンがこのあたりで行われたのでしょう。
 駅を出て線路沿いの道を本長篠方向に歩くと、10分ほどで史跡強右衛門磔刑の碑に着きます。田の向こうの森に大きな石碑があり、深い寒狭川をはさんだ対岸に長篠城趾があります。
 
 トイレ無しの車両に乗ってしまった光画部一行が、トイレ休憩に降りた駅ですね。南部地域ではトイレの付いていない単行電車(連結無しに1両だけで動いている車両)が運行していました。
ちょっと歴史のお勉強2 鳥居強右衛門について

 鳥居駅にもその名を残す強者ですが、本来の身分は奥平家お抱えの雑兵(足軽頭)で、いわゆる武将ではありません。
名を鳥居強右衛門勝商(かつあき)といいます。武田方にぐるりと包囲された長篠城を抜け出し、寒狭川の川底をくぐり、雁峰(がんぽう)峠を越えて遠く岡崎まで援軍を請いに行きました。岡崎で無事大役を果たし、城に残って休むがよいという申しつけも断って長篠城にとって帰りました。しかし長篠城を目前にして武田方にとらえられ、「援軍は来ないから城を明け渡せ」と叫べば命を助け褒美も取らせると迫られました。強右衛門はその申し出に乗るふりをして「援軍きたる」と2度叫んだと言われています。これによって長篠城は持ちこたえることが出来ました。この忠義を重んじた行為は、敵である武田方の武将達をも感心させたと言います。しかし、総大将たる武田勝頼は激怒し、強右衛門を磔にしました。いかに戦国時代、敵味方とはいえ武士道の鏡たる行為を見てとれなかった勝頼の度量の狭さが、その後の武田家の命運を決したといえるのでは言えるのではないでしょうか。
 現在その場所には碑が建立されています。
 ちなみに強右衛門の子は、血筋が物を言う戦国にあって「忠臣の子」というのが幸いし、二千石の大身にまで出世しました。
 解体前の木造旧駅舎です。まりい達が見下ろしていた頃はこの駅でした。写真左の踏切から上に伸びる坂の上にまりいが隠れていました。